信楽窯場の穴窯(桃山時代の窯を復元)
信楽窯場のアトリエ(建築家・熊倉實氏 設計)
信楽窯場の登り窯(京都様式)
「たっちゃんの怪獣、たっちゃんの怪獣。誰か欲しい人、いいひんか。1000円から!」初窯の窯焚きで、お茶碗と一緒に焼いてもらった、怪獣、のような物10点。
「今からセリに出してあげよう。」信楽の窯開きにお招きした、たくさんのお客様の中のお一人、堺港市場のお客様の遊び心。怪獣は、見事セリ落とされ、いただいたご祝儀は全部で数万円。小学3年生だった私が初めて触れた、粋な大人の世界。
今も手元に残る、1冊の手帳には、祖父、初代青龍洞から学んだ、窯焚きの方法が克明に綴られています。窯に火を入れ深夜も火を見続けた幻想的な体験。土でカタチを作り、窯で焼き、物となって、焼きあがってくる喜び。信楽に行くことが、本当に楽しかった。だからこそ手伝いをしながら、自然に陶芸に興味を覚えていったような気がします。そして、残念ながら、小学校の卒業文集で、「陶芸家になる」と宣言しています。
自分にはこれしかない、他に考えようがない、という疑いなき思いを、私は喜びと楽しさの積み重ねから、得ることができました。
F1レーサーだって、パイロットだって、プロゴルファーだって。きっと何の疑いもなく、幼少時から努力してきたはず。10代で得たこの時間が、今の自分にとって、どれほど血となり、肉となっていることか。
は洋画家になる筈だったが、やきものに魅せられ、人生の大半を、五条坂で制作し、河井寛次郎さんの大きな登窯を同志と共同で焼くという陶芸人生でしたが、公害防止条令で京都の登窯の火が全部消えてしまいましてから小さなガス窯で焼いて居りました。
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